トークイベントレポート

『映画はアリスから始まった』
岩波律子さんトークイベント

2022年8月18日(木)アップリンク吉祥寺

この作品は、岩波ホールさんでの上映が決まっていた作品で、岩波ホールの皆さんも大変気に入ってくださっていたと聞いておりましたが、どういうところが気に入っていたのですか?率直な感想をお聞かせください。

最初に映画を作ったのが女性だと知って、感銘を受けました。この作品自体は、テンポが速く、内容がぎっしりと詰まっているので、ついて行くのが大変ですが、随所に草創期のひとのパワーが感じられ、面白いです。

岩波ホールさんではこれまでにもアリス・ギイ作品を上映されていますが、アリス・ギイのどんなところに着目されたのでしょうか?

岩波ホールではなく、総支配人の高野悦子がプロデューサーをしていた、女性映画祭(東京国際映画祭の一部門)で、1990年代に取り上げ、数本上映しています。

アリス・ギイは、「自分が最初に物語映画を作った」と自ら主張しました。女性監督の作品にも力を入れてこられた岩波ホールさんですが、史上初の物語映画監督が女性であったということについて、どのような感想をお持ちでしょうか?

当時は欧米でもすでに男性のイメージが固まっていたと思います。女性でしたら、もっと型にはまっていたでしょう。そのなかで、いわば「はねっかえり」のお嬢さんが才能を発揮したのは素晴らしいことです。

岩波ホールさんが閉館になり、本当に残念なことだと思いますが、長年、かかわってきた律子さんが忘れられない作品があれば教えてください。

270本くらい上映してますから、これというのは難しいですね。実をいうと、私は欧米の巨匠よりも、アジアの映画が親しみやすいです。やはり第一回にご紹介した、サタジット・レイの『大地のうた』三部作。白黒なんですけれどもあれは非常に強烈ですね。実はしばらく前も再上映の話があったのですが、権利元がわからなくてできなかったのです。だいぶ探したのですが権利元にたどり着くことができませんでした。あの作品は、ヨーロッパの巨匠と違い、日々の暮らしの中の命とか哲学が静かに描かれていて、すごい映画だと思いました。それからかつて大ヒットした、中国の『山の郵便配達』、そして最近ではブータン映画『ブータン 山の教室』でしょうか。こちらは、日本人が好む作品だと思います。『ブータン 山の教室』を上映した時に、特に何かが起きるというわけではないのですが、新型コロナ感染症の最中でもお客さんがおいでになって、やっぱり皆さんこういう映画、お好きなんだなと思いました。標高4000mの高さの物語なんですけど、故郷の話を見たような安らぎを感じましたね。

ここ2・3年のコロナ禍の影響は大きいと思いますが、この先、映画館はどういう形で残っていくと思われますか?また、映画業界全体はどのように変わっていくと、お考えでしょうか?

コロナが流行した時は、不要不急と言われ、休館もしましたし、特に高齢の観客が来られなかったので大変でした。若い方は、感性がみずみずしいので、当ホールにあまり足を運ばれないのは残念です。ある大学の先生によれば、いまの若者はスマホを一日中いじっていて、情報に遅れないこと、友達に見放されないようにするのでいっぱいだそうです。

私たちは上映する側でしたが、他の映画館に足を運んでください、と申し上げています。ある映画人によれば、これからは外国での映画製作、輸入・配給という形は変わってゆくだろうということでしたが、私には想像がつきません。

大きなスクリーンで、大勢で一緒に見るというのは、ちょっと違った体験ですよね?

全然違います。やっぱりその世界に没入するっていう。自分の家でビデオなどで見ると、向こうの方に枠組みがあってそれを見ているという感じなんです。恐らく今の方は暗闇の中で息をこらして見るっていうのは好きじゃないのかもしれない。ただ、社内でどうして若い人が来ないんだろうって話をしていますと、「だいたい若者の人口が少ないです」って言われる。そう言えばそうだなと思いますけれど。

私たちの子どもの頃は学校の映画教室がありましたね。

そうです。中学で一回、高校で一回ありました。中学は『華麗なる激情』の上映があって、私はその日休んじゃったんですけど、高校の時はヘレンケラーの話があってそれは素晴らしかったです。今は先生方があんまりご関心がないというか、たぶん外に出て一緒に出かけて何かあるとお嫌なのか、会社の近所のいくつかの学校なんかにお声かけても、中学校、高校は先生たちが首を縦に振りません。

岩波ホールさんで1997年から長らく映画を上映されてきましたが、律子さんが一番大切にしたい思いや言葉、あるいは励まされた出来事などを教えていただけますか?

監督たちはすごく必死で、それこそ命がけで作品を作っています。日本だけではなく外国でもそうです。『ピロスマニ』をお作りになったゲオルギー・シェンゲラーヤ監督は、「新作が作れたら死んでもいい」とおっしゃっていたんです。あとは、イランの監督でバフマン・ゴバディ。彼も命がけで、「撮影現場に地雷があった。命を狙われていたので、警備の人をつけていた」と言うんです。インドネシアのジャロット兄弟の作品を日本で上映した際は、最終日に監督がインドネシアから駆けつけてきて、最後の挨拶をしたときに涙を流していらっしゃった。世界には色んな国の事情があり、上映禁止になる作品があります。そうやって命がけでお作りになった映画――もちろん良い状況で作っている可能性もありますが、それを私たちが受け止めて、その思いをガラスの器を受け取ったように大事受取、それを観客の方々に大事に手渡してゆく、ということでしょうか。

閉じる