トークイベントレポート

『映画はアリスから始まった』
小口詩子さんトークイベント

2022年8月21日(日)アップリンク吉祥寺

トークに換えて

とにかく面白かった。
「アリス復権擁護軍団(世界に点在する研究者たち、ハリウッドの映画人、女性作家、図らずも関わることになる親族や市民、etc.)」 vs「フランス映画界の絶対的権威」の闘い?はどこに帰着したのか。エンドクレジットに並ぶ資金提供のスタープロデューサーたちは華々しく(R・レッドフォードはまさにだけど、H・ヘフナーの名前は二度見!)、とりわけ長い闘いを終えた勇壮な白髪の研究者の方々に、お疲れ様でしたと拍手したくなった。

この作品では「なぜアリスが映画史から忘れ去られたのか?」という謎を解き明かす探究の過程そのものが、J・サイモンの言う「一つの資料から次のヒントを掴み検証していく」アカデミカルで地道な手法と、パメラ監督のいうエンターテイメント的な「探偵」視点で描かれている。ドキュメンタリーでありながらドラマチック、高速で時空を行き交い、歴史を塗り替えるような体感ムービーだ。

アリスや娘シモーヌの複数の肉声インタビューをすり合わせ、パメラは現代のICTの恩恵を活かしたハイブリッドな効率的リサーチを武器に思考行動し、アリスの遺族や関係者たちとの接触から入手する資料やヒントが次の足掛かりになっていく。パメラの本業であるモーショングラフィックスは、圧倒的な量の情報に紐づくサインがひしめく象徴表現で、このデジタル技術が可能にした密度とスピードに追いつけず、私は5回も作品を見直すことになった。

ハリウッドで働くクリエーターのパメラが、揺るぎない信念で100名を越える周囲の著名業界人のインタビューや協力支援を集め、世界に点在し長きに渡りアリスの復権に力を注いできた研究者たちの膨大な労を線へ面へと繋いでいく。

過去の資料映像や写真に映っていた若く精力的だったA・マクマハン、A・スライドをはじめとする主要な研究者たち、伝記の編者C・クルゾーらが、年を重ねて登場しているのに胸が熱くなった。シモーヌも年をとり、アリスの死後8年たって出版された回想録を編纂したN=L・ベルンハイムはもはやこの世にいない。

アリスが何度も再発見されては忘れ去られた理由は、1975年の有識者会議の激論の中に暗示されている。H・ラングロワ、J・サドゥール…フランス映画史界のマッチョな絶対的権威が犯してきた無自覚の罪が見え隠れし、複雑な気持ちになった。

このモヤモヤした違和感は、異国における過去の話という気がしなくて、いまだにとても身近なことの様に感じられる。

アリスのプリントを1本でも多く探すことが、事実検証の要。
伏線として走っていたアリスの作品探しはクライマックスの高揚感で清々しく実を結ぶ。
大量のフィルムが見つかった場所がどこだったか…これは愉快だったなあ。

作品の中のアリスのライブ映像は主に1957年と1664年のインタビュー。特に後者は90歳にして矍鑠とし、1965年にリュミエール兄弟が撮影した22歳のアリスのキノーラ映像から変わらぬ初々しい感性を感じさせる。多様なサインから浮き彫りになるアリスの人物像にはすっかり魅了されたけれど、彼女のみずみずしく豊かな感受性と想像力、行動力と創造力は、彼女の書き下ろした回想録「私は銀幕のアリス」を読むと実感できる。幼少時代に海を渡り過ごした出自とも関わるチリの蜃気楼の様な記憶…彼女の日常と人生は映画製作という表現活動と結びついて、まさに映画のような、旅のような毎日だっただろう。

パリ万博開催の1900年前後、フランスはベルエポックの時代、向学心の強かった若いアリスは、当時最先端の技術や人が集まる教養的な刺激に溢れた場所で、嬉々として仕事し、映画作りを始めた。結婚を機にアメリカに渡り、母となっても、プロダクションを起こし、スタジオを建て、男たちと肩を並べて映画を製作した。夫や部下に裏切られ、輝かしい功績も闇に葬られて、人生の後半は不遇のように描かれることもあるが、生涯書くことを続け、物語を生み出し続けた。幼少時代に家庭教師任せだった娘には死ぬまで尊敬され、愛された、幸せな人生だったと思う。

私の映像製作は8mmフィルムから始まった。その後美大の助手となり、16mmカメラで実験映画を撮ったり、フォログラムを使った映画前史の様な3D映像装置を作る教授たちに囲まれた環境で、フィルムやカメラの機構に興味を持ち、コダック大事典を愛読書に、自家現像もした。WWWやHPが世に知られ始め、これからはCGだ、デジタルだ、HDだ、という新しいメディア登場のタイミングにも敏感に反応しながら、どきどきワクワクして映像製作をした日々を思い出す。アリスに自分を重ね合わせるのは恐れ多いけれど、大いに共感した。

情報を記号で表現すると、意味は暗示的かつ直感的に伝わる。記号はインデックスで裏にも情報が潜んでいる。さらに記号は動いて新しい文脈を構築し意味を伝える。
グラフィックも記号で、音声や文字も記号、作品フッテージや記録・取材の映像など実写映像の断片も物語性を内包しデータ化された記号として統合される。モーショングラフィックスが駆使された本作は情報の密度と速度が半端ない。もはや映画の範疇を超えるウェス・アンダーソンの作品を観る時にも感じる飽和の快感を思い出す。映画は元々ディテールの集積だし、これも一つの映像作品のあり方だと思う。明言せずにサインの渦で確信を突く…歴史に残る映画人たちはこれまでもイメージによる表現で大きな力に抗ってきた。

デジタルが全てを繋げた。
多くの研究者たちがこれまで費やしてきた時間、移動にかかるはずの物理的地理的距離も、情報通信技術の発達が縮めた。アリスを巡る6世代にも渡る人間模様や社会の様相、様々なテクノロジーが花開き映画装置の揺籃期から以降の時代を、現代科学の最先端技術で再描写していることが、改めて感慨深かった。

この映画は学生たちにぜひ観てほしいと思った。
アリスのクリエイティブな人生を再体験するような映画を見て、日々学び創作できることの幸せを再確認し、自身のこれからの長い人生をシミュレーションしてもらえたら嬉しい。

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