トークゲスト(予定)※五十音順 | |
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古賀 太さん(日本大学芸術学部教授) | 9月11日(土)『モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ』上映終了後 |
児島宏子さん(ロシア語通訳翻訳、エッセイスト) | 9月12日(日)『精神の声』上映終了後 |
須藤健太郎さん(映画批評家) | 9月18日(土)『エルミタージュ幻想』上映終了後 |
代島治彦さん(映画監督・プロデューサー) | 9月19日(日)『精神の声』上映終了後 |
※午後早めの時間帯を予定。
※タイムテーブル詳細は決まり次第、劇場および当ページ等でご案内致します。
上映作品
ナレーション:アレクサンドル・ソクーロフ
1986-1987年製作/ソ連/モノクロ=カラー/日本語字幕付き/88分
亡命先のパリで1986年、54歳で客死した名匠アンドレイ・タルコフスキー。没後35年を経てもなお、世界中の映画ファンを魅了し続けている。ソクーロフ監督の第一回長編監督作『孤独な声』(1978年完成/1987年公開)が公開禁止処分を受けた際、彼は「この映画にも欠点はあるが、それは天才による欠点だ」と擁護した。そして、後年ソクーロフはタルコフスキーに捧げて本作をつくった。なお、同じく亡命者だったロストロポーヴィチ演奏のチェロが終了を飾る。
1995年ロカルノ映画祭ソニー賞
1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭特別招待他多数
ナレーション:アレクサンドル・ソクーロフ
音楽:モーツァルト ベートーヴェン メシアン 武満徹
1995年製作/日本初公開1996年/露・独・日(パンドラ)/カラー/日本語字幕付き
全5話構成・合計328分(第1話+2話:71分/第3話:87分/第4話:78分/第5話:92分)
タジキスタンとの内戦に派兵されたロシア軍の若き兵士たちを撮った、ソクーロフの金字塔ともいえるドキュメンタリー。なお、本作に登場する兵士はひとりも生還していない。
2002年カンヌ国際映画祭正式出品/
トロント国際映画祭最優秀造形賞
2003年サンフランシスコ映画批評家協会賞/
ドイツ映画賞最優秀撮影賞
2004年ニカ賞(ロシア・アカデミー賞)最優秀美術賞・
最優秀衣装賞
2004年アルゼンチン映画批評家協会賞
外国語映画賞他多数
特別出演:ワレリー・ゲルギエフ
オリジナル音楽演奏:ロシア国立エルミタージュ交響楽団
音楽演奏:マリーンスキー歌劇場管弦楽団(指揮:ワレリー・ゲルギエフ)
製作+日本初公開2002年/露・独・日(NHK)/カラー/日本語字幕付き/99分
美術品が陳列されたままのエルミタージュ美術館(所蔵品300万点以上は世界最大級)内部を使い、ロシア近・現代300年史を、世界映画史上初の90分ワンカットの手法で描いた史上最も贅沢な作品。世界的に大ヒットしている。
2005年ベルリン国際映画祭正式出品
2005年サンクトペテルブルク国際映画祭グランプリ他多数
出演:イッセー尾形 佐野史郎 桃井かおり
2005年製作/日本初公開2006年/露・伊・仏・スイス/カラー/日本語字幕付き/110分
20世紀の権力者を描く4部作の第3作目。戦争終結を機に日本は大きな変革を迫られていた…
Sister と 『エルミタージュ幻想』の
コラボTシャツ!
数々の映画作品とコラボレーションをしてきたセレクトブティック「Sister」とのコラボが実現!!
※数量限定での取り扱いとなります。上映劇場までお問い合わせください。
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Gergiev ¥4,950-(tax in)
Size : S , M , L , XL世界的な指揮者 ワレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団の壮大な演奏シーン。
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Stage ¥4,950-(tax in)
Size : S , M , L , XLエルミタージュ美術館の壮大な舞台で繰り広げられる演劇のワンシーン。
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Stairs ¥4,950-(tax in)
Size : S , M , L , XL大勢の華麗なキャストが舞踏会から移動する贅沢な階段シーン。
トークイベント
9月11日(土)アップリンク吉祥寺にて11:30~『モスクワ・エレジー タルコフスキーに捧ぐ』上映終了後、
古賀太さん(日本大学芸術学部教授)によるトークイベントを行いました!
レンフィルム祭をめぐって
1992年に国際交流基金、朝日新聞社、川崎市市民ミュージアム、大阪市の共催で開催した<レンフィルム祭>では、日本に初めてソクーロフ本人を招び、特に『日蝕の日々』、(後に、『日々はしづかに発酵し…』という題名で公開されています)という傑作を上映しました。
<レンフィルム>というのは、ロシアのサンクトペテルブルグ(旧レニングラード)にある巨大な撮影所です。ちなみに、モスクワには<モスフィルム>があります。1993年に私がレンフィルムを訪ねた時は既に民営化されていましたが、撮影所に監督や俳優や美術やメイクなどがまだ毎日出勤している状態でした。レンフィルム祭は、6月から全国巡回上映をしました。監修は蓮實重彦さん、コーディネーターに冨田三起子さん。蓮實さんには10日間サンクトペテルブルクに行ってもらいました。私が初めて関わった映画祭でその後、ジャン・ルノワールやハワード・ホークスやカール・ドライヤーの全作品上映や韓国映画祭、ポルトガル映画祭、そして今も続くイタリア映画祭などを2007年まで開催する、<映画祭屋15年>の始まりです。私は国際交流基金に勤めていましたが、この映画祭を契機に一緒に組んだ朝日新聞社に転職しました。
レンフィルム所蔵のサイレント映画から現代までの26本を上映し、ソクーロフは5本で1番多い監督でした。『マリア』=『ロシアン・エレジー』、この『モスクワ・エレジー』、『日蝕の日々』、『ソヴィエト・エレジー』(エリツィンのドキュメンタリー)、『ペテルブルグ・エレジー』これはシャリアピンを撮った作品です。15本ほどニュープリントを焼いて、大阪、東京、川崎、名古屋、新潟、青森、仙台、福岡、京都に巡回。開催各地で分担金を負担しました。1992年7月にソクーロフに川崎市市民ミュージアムに来てもらいました。15本のプリントは川崎市市民ミュージアムに渡しましたが、2019年の浸水で今は、どうなっているのでしょうか。
ソクーロフ以外に来日したのは、セミョーン・アラノヴィッチ『海に出た夏の旅』(彼は後に『アイランズ』という北方領土問題を扱った日ロ合作を監督しました)。アレクセイ・ゲルマン『わが友イワン・ラプシン』(遺作は『神々のたそがれ』)ヴィターリー・カネフスキー『動くな、死ね、蘇れ!』などでした。
ソクーロフは当時42歳(私は32歳でした)でしたが、顔はしかめ面なのによく見ると若い。動作は老人のようで、妙でした。食べることに熱心でとりわけ牛肉が好きでした。赤坂のイタリア料理店で、メニューを真剣に読んで、パスタの代わりに肉料理を頼み、ステーキとシチューの2つを食べました。豊洲の私の自宅マンションに夕食に来た時は、バラの花一輪を次回作『ストーン』の縦長のポスターと共に持ってきて、妻を喜ばせてくれました。その時は牛肉のステーキを用意して喜ばれました。日本が気に入って「サクラ・フ」と自分で呼んでいました。後に昭和天皇をイッセー尾形に演じさせる『太陽』を作ることになります。
ソクーロフとタルコフスキー
ソクーロフは、1951年生まれで、タルコフスキーは、1932年4月4日生まれですから、19歳上の「叔父さん」に当たる世代差です。30歳ほど上の父世代とも異なり、目標になる存在だったのではないでしょうか。彼が35歳の時に54歳で亡くなったタルコフスキーを撮りました。タルコフスキーは卒業制作の『ローラーとバイオリン』以来、すべての作品が海外の映画祭で賞を取ることで、道を切り開いてきたわけです。『アンドレイ・リュブロフ』は1966年に完成していますが、上映が禁止されて、69年のカンヌで国際批評家連盟賞を取ってから71年に国内上映が許可されています。映画で出てきますが、ブレジネフは82年12月に亡くなり、85年にはゴルバチョフが大統領になってペレストロイカを始めたので、結果論で言えば亡命の必要はなかったかもしれません。その間、映画でわかる通りタルコフスキーは言葉のできないイタリアやスウェーデンやフランスで苦労していました。モスクワにいたら、もっと長生きしていたかもしれません。19歳若いソクーロフは1978年に卒制の『孤独な声』が上映禁止になった時、タルコフスキーが擁護し、レンフィルム撮影所に推薦しています。この映画はその後、2作目長編『痛ましき無関心』(83)と共に87年に公開されました。タルコフスキーが死んだ時、ソクーロフの2本はまだ上映禁止でした。彼は異国で亡くなったタルコフスキーに自分の将来を重ねたに違いありません。
自作2本がペレストロイカで公開後、『日陽はしづかに発酵し…』(88)へ続き、『ボヴァリー夫人』(89)からはロシアにいながら国際合作を続けました。ペレストロイカにぎりぎり間に合わないで亡命したタルコフスキーと、少しの我慢でロシアにいながら国際合作ができたソクーロフとの差は大きいでしょう。
彼はシベリアで軍人の父親のもとに生まれ、ゴーリキー大学の歴史学科を卒業して地元のテレビ局に勤めてドキュメンタリーを作っていました。そこから全ソ国立映画大学に進んでいます。蓮實さんがインタビューした1991年11月の時点で好きな監督はエイゼンシュテインとロバート・フラハティと言っていました。蓮實さんとのインタビューで「ドキュメンタリーとフィクションのいかなる違いも認めません」と言っていますが、彼はかつて多くのドキュメンタリーを作り、最近は劇映画中心ですが、劇映画にもドキュメンタリーの要素が強いです。もともと人について撮った映画が多いです。
最後に、レンフィルム祭のパンフレットに掲載されているソクーロフのコメント、と蓮實さんのインタビューの最後の言葉をお読みになり、トークショーは終了しました。
「『モスクワ・エレジー』の制作にあたっては、ソ連映画人同盟から非常な便宜を与えられ、タルコフスキーの50回目の誕生日に向けて、撮影がはじめられた。しかし、映画のスタイルと内容を巡った映画人同盟内部の意見の対立から、長い間制作が中断していた。この映画は、偉大な映画監督の個性と歴史的な運命から私が受けた、主観的な印象である。あえて付け加えるなら、私が目指したのは、タルコフスキーの思い出と個性に捧げるべき、極めて人間的なイントネーションの創造である。
私は、「素材を扱う」のに、優しさと注意深さ、そして、善意を心掛けた。彼の生活と創造の、すべての面を描き切るつもりはない。描きたいのは、祖国に残されたもの、そして、タルコフスキーが仕事の場所とせざるを得なかった西側での当時の出来事だけである。エレジーにふさわしく、この映画は、モノクロに近い抑えた色調となった。」
「われわれが今ある状態や経済システムからすると、われわれは田舎者と映るかもしれません。しかし、プロフェッショナルな文化の領域でのわれわれの潜在的な力は限りないものがあります。時には、うんざりすることもあるでしょう。それに、現在の状態が4年か5年続くとしたら、見るべきものはなくなってしまうかもしれません。しかし、少なくとも、ドキュメンタリーには真に優れた監督たちがいます。旧ソ連におけるドキュメンタリー映画は世界最高の水準にあり、並ぶものがないとさえ言えるでしょう。フィクションについても、アメリカでもヨーロッパでもできないような優れた映画がいくつかあります。」
アレクサンドル・ソクーロフ
「レンフィルム祭」公式パンフレットより抜粋
9月12日(日)アップリンク吉祥寺にて11:30~『精神
の声(第3話)』上映終了後、
児島宏子さん(ロシア語通訳翻訳、エッセイスト)によるトークイベントを行いました!
ソクーロフさんとは1992年の<レンフィルム祭>での通訳で、ご縁ができました。
『精神の声』制作当時、ソクーロフ監督はまだ非常に若く、初めてビデオカメラを持って兵士たちについて行き、ご自分で撮影したそうです。映像が始まると「辛い、この山道は辛い」と監督の呟きが聞こえます。彼の父は軍人で、ウズベキスタンに赴任した頃、五歳だった彼は塀から落ち左脚を骨折し、当地の病院での接骨手術がうまく行かなかったせいで、左足が不自由になったのです。この辛い身体状況は監督の眼差しや感覚に大きな影響を与えている様に想えます…
この映像に主流のごとく響く曲は、今は亡き作曲家武満徹さんの「波の盆」と題する曲です。ソクーロフさんが、非常に気に入って、「これを使いたい、手紙を書いてくれないか」と言ってきたので、お手紙を書いたところ、長野で療養中の武満さんから速達で「どうぞお使いなさい」とのお返事でした。ソクーロフさんはどんなに喜んだことでしょうか。
この作品に登場する兵士は全員が戦死しています。むごい状態の遺体も撮影されていますが全くと言っていい程登場しません。画面に映る青年達が誰一人としてこの世にいないことを絶えず思いながら編集しているのです…。第一部ではモーツァルトの曲が流れます。そこに眠る若い兵士がいて、昏々と眠っている。そしてその後にはベートーベェンの曲やソ連の著名な女性作曲家グバイドゥーリナの曲など様々な曲が少しずつ使われています。ソクーロフさんは、ある時、この作品を思い出し、「人は生まれてくる時間も場所も国も父親も母親さえも選べない、何一つ選べないまま誕生する…」と呟きました。さらに「時間は誰にとっても同じなのだ」とも。「モーツァルトの時間もこの兵士の眠る時間も同じ時間なのだ…」と悲し気に、嘆息しながら呟いたのです。
「戦争反対」と言うのは簡単なのです。その思いをいかに映像にするのか、私たちがそれをどう受け取るのか、そしてどのようにして、青年たちがあっけなく命を失うようなことがないようにするのか… タジキスタンとアフガニスタンのこの乾いた砂埃だらけの山の中で、この青年達はもっと社会の役に立ったし、愛する人もできたし、愛されたし、子どもたちも生まれたかもしれないし、と様々な事が想像できますね。でも命を奪われてしまった。満州事変の頃の戦争というのは、人が向かい合って殺すか殺されるかでしたが今は違います。核兵器ができ、ドローンで、つまり無人機で殺戮ができるのです。非人間的という表現では、表現しきれない残酷極まりない状況を人間が作っている、在ってはならない現時点の過酷な現実を、青年達の無垢な表情が思い起こさせてくれないでしょうか…
ソクーロフ監督がずっと訴え続けているのは、誰のために生きるのか、どう生きるのか、そういうことが大事なのです。当時のソ連は15の共和国で構成された多民族国家でした。歌が出てきますけども、中央アジアのタジキスタンやウズベキスタンの方々、スタンとは国という意味ですね、その人たちの歌で、おそらくソクーロフさん自身がこの歌を、言葉は分からなくても感覚で撮り続け、歌う青年の故郷の歌を、母国の歌を歌うことを記念したのだと思います。
この作品は5部から成っていますが、日本ではDVDになっていませんが、ロシアではなっています。ロシア版DVDを見ましたら、少し違っているのです。最初の版ではモーツァルトの曲が流れて青年兵士がずっと眠っている、私たちも眠りたいなと思うような、自分の赤子のような、その眠りをずっと見ていることになる。それがもっと短くなっていたりします。ソクーロフだけでなくロシアの他の監督たちも絶えず最終版を作っています…
生命が大事。ソクーロフ監督と一緒に、何よりも命を、誰の命であろうとも大事にしていきたいと思わせ考えさせてくれる作品ではないでしょうか…
9月18日(土)アップリンク吉祥寺にて11:45~『エルミタージュ幻想』上映終了後、
須藤健太郎さん(映画批評家)によるトークイベントを行いました!
『エルミタージュ幻想』は90分ワンカットで撮影された作品で、まずそのことに驚くわけですよね。監督自身は「観客がそのことに気付かなければいい」と言っているのですが、ぼくとしてはやっぱりワンカットであるということが気になってしまうので、今日はそのことを中心にお話しようと思います。
この映画を見ると、「90分ワンカットなんて嘘だろう」「本当は編集されてるんじゃないか」と疑う人も多くって、「編集されていた箇所がわかった」と主張する人もいるんですが、それは何かの勘違いで、全篇まるまるカットせずに撮影をしているのは本当なんです。もちろん撮影で得た素材にポストプロダクションの段階でいろいろと手を加えているわけですが、撮影自体は本当に切れ目なくおこなっています。3回失敗して、4回目で最後まで撮影したそうです。撮影日は2001年12月23日です。
ステディカムの映画
それで、この90分間の撮影というのは、エルミタージュ美術館内を移動しながらおこなわれているので、この映画を特徴付けるのは、まず「ステディカム」です。ステディカムというのは、ものすごく平たく言ってしまうと、手ブレ防止の本格的な機材みたいなやつですが、カメラをスムーズに動かして撮影できるそういう装置があります。『エルミタージュ幻想』はステディカムを巧みに使った映画のひとつだと思います。ステディカムの装置がだいたい35キロくらいあったそうなので、撮影監督はこの35キロの装置を体に取り付けて、90分間、だいたい距離にすると1.5キロくらいの長さを動きながら撮影をしています。だから、撮影監督がはじめの準備としてとりかかったのは、体作りのためのトレーニングだったそうです。
撮影監督の背後には——もちろん映画には映っていないわけですが——監督や通訳のほか、カメラのアシスタントなど総勢20名以上の人がいたそうなんですけれども、撮影監督も体を鍛えて撮影に臨んだとはいえ、いざ本番となって、さすがに1時間くらい経ったところで疲労の限界にきてしまった、と。アシスタントに「もしかしたらもうダメかもしれないから、交替の用意を頼む」と合図をしたそうです。ただこの1時間くらいのところというのは、ちょうどあの舞踏会のシーンなんですね。全員がしっかり衣装を着て、しかも生演奏で舞踏会が繰り広げられるのを見るのは彼もその本番のときが初めてで、一気にアドレナリンが出て、興奮状態のまま最後まで撮り切ることができた、そんなふうにインタビューで語っていました。
ちなみにこの映画には数えると800人以上の人が出てくるみたいなんですが、衣装は全員分がそれぞれ採寸されて、その人用に作られている。そういうものすごく贅沢なことをやっていて、それがこの圧倒的な迫力を生み出しています。
意識の映画化
さて、どうして90分ワンカットの映画を撮ろうと思ったのか、なんでこんなに大変なことが必要だったのか、誰もがこういう疑問を持つと思いますが、ぼくの考えははっきりしています。ひと言でいうと、この映画は「意識の映画化」です。もう少し丁寧にいってみると、この映画は「ある意識に映画的な形式を与える」ということを試みた作品であると思っています。要するに、90分ワンカットの長回しというのが、ここで選ばれた映画的な形式だということです。
ずっとワンカットで長回しだということは「編集がない」というふうに一般的にいわれるわけですが、「編集」というのは単純なようで複雑です。これは具体的な実践を指すと同時に、抽象的な概念でもあるので、どう考えるかが難しいんですね。話をわかりやすくするために便宜的にこの「編集」というものを2つにわけて考えてみますと、1つは「デクパージュ」、もう1つは「モンタージュ」というふうに分けられると思います。2つともフランス語起源の言葉ですが、日本語ではデクパージュが「カット割り」、モンタージュが「編集」というふうに訳されることが多いです。もともとの意味としては、デクパージュは「切り分ける」、モンタージュは「組み立てる」ということで、映画の編集というのは、「切り分けること」と「組み立てること」という2つの思考と実践が合わさったものと考えられます。
禁じられたデクパージュ
この2つはまったく逆の行為を指しているように見えつつ、実際はどちらか片一方だけでは成り立たないような、そういう切っても切れない関係にあるのかもしれません。切り分けられたものをひとつひとつ組み立てていく作業を編集と呼ぶとして、そもそも組み立てをするためには、切り分けるという作業が先にあって、組み立てるべき素材がないとできないわけですよね。だから、デクパージュとモンタージュというふうに2つに分けるのはあくまで便宜的にすぎないし、これはひとつの同じ作業を別の側面から捉えたものというにすぎないのかもしれないんですが、『エルミタージュ幻想』のことを「編集のない映画」と考えるとき、それが「デクパージュのない映画」なのか、それとも「モンタージュのない映画」なのか、と考えてみると、作品の輪郭がよりはっきりするような気がします。
要するに、ぼくの意見としては、『エルミタージュ幻想』は「デクパージュのない映画」です。「編集されていない映画」というより、「カット割りされていない映画」といったほうがこの映画の形容としてはふさわしいだろうということです。ある意識を映画にしようというとき、それにふさわしい形式として、デクパージュを拒否するという選択がなされたのだと思います。
それでは、「デクパージュを拒否する」とはどういうことか。まず、1つのシーンを複数のカットに割るというのは、つまり複数の視点から撮る、ということですね。複数の視点から物事を見て、その複数の視点をひとつに統合することです。なので、それを拒否するというのは複数の視点から見ないということ、ひとつの視点からだけ見ることを積極的に選ぶ、そういうことだと思います。つまり「ある意識」というのは「ひとつの意識」ということであり、それは「ひとつの視点」によって表象されるということになります。
これは『ロープ』ではない
「編集のない映画」でよく引き合いに出される有名な映画がありましたね。アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(1948年)です。実際、『エルミタージュ幻想』が公開されたとき、この『ロープ』と比較されることがよくありました。
『ロープ』は80分ワンカットで撮られている、そのように見せている映画です。当時はフィルムの時代ですから、1巻で撮影できる時間に限界がありました。だいたい10分くらい。ですから、実際は80分間まるまる撮影することはできず、10分ごとの撮影をあたかも切れていないかのように編集で見せる、ということをやっています。すごく巧みに編集されていて、そのアイデア自体も面白いので、もし未見の方がいたらぜひ見てみてください。編集されているところを探すぞって気合いを入れて見ているとすぐ気付くと思いますが、言われなかったら、もしかしたら編集されていることに気付かないかもしれません。
『エルミタージュ幻想』はヒッチコックが『ロープ』でできなかったことをデジタル技術を用いて実現した作品だ、そういうふうに論じられてきました。フィルムの限界があるために、以前は全篇カットなしで撮影することができなかったわけですが、デジタル技術によってフィルムの制約から解放されて90分間の撮影が可能になった、という意味ではそのとおりです。ただぼくとしては、『エルミタージュ幻想』は「ある意識の映画化」であって、そのために単一視点をとってデクパージュを拒否した作品だと考えているので、カメラの視点が問われることのない『ロープ』と比較するのは筋違いのように感じられます。
ところで、『ロープ』に関しては前々から不思議に思っていることがあります。ヒッチコックは「この映画が80分間ノーカットだというのは、つまりこの映画の中で語られている物語の時間と上映時間が一致しているんだ」「現実そのものなんだ」と言っていて、たしかに編集で省略がなされていないということはそういうことなんだと思うんですが、この映画はある食事会の話なんですね。で、その準備をして、お客さんが来て、前菜があって、メインがあって、デザートがあって、コーヒーがあって、そしてみんなが帰ってから片付けをしてっていう流れがあるのですが、こういう全部がたった80分間のあいだに起こるわけです。実際ではありえない。もしあったとしたら、とても落ち着くことのできない早送りの食事会です。不思議だというのは、この映画を見ていても、そういう慌ただしい感覚は抱かないんですね。ヒッチコック自身は「物語の時間と上映時間を一致させ、物語の時間と現実の時間とを一致させたのがこの映画の特色だ」と主張しましたが、むしろこの映画が明らかにしてしまったのは、「たとえ編集による省略がなされていなくても、映画内と現実とでは時間の流れ方が異なる」という事実ではないかと思います。本当に現実そのものの時間を残そうとしたら、準備だけで80分間が終わってしまい、何も事件の起こらない映画になったはずです。
最近の『1917 命をかけた伝令』(サム・メンデス監督、2019年)がこの『ロープ』と同じ要領の映画ですね。途中で主人公が気を失って時間が飛ぶので、前半1時間と後半1時間に分かれますが、それぞれがずっと長回しで編集がないようにデジタル技術によって見せている映画です。前半の1時間を見ているときから現実の1時間には収まりきらないほど多くの出来事が起こって変だなと思うんですが、後半になると、真っ暗な夜から夜が明け、早朝の攻撃開始までがたった1時間で描かれている。映像自体に切れ目はなく省略がないにもかかわらず、それがいかに現実の時間の流れと対応していないか、それは明らかです。
これは『湖中の女』ではない
ちょっと脱線しましたが、『エルミタージュ幻想』の長回しについて考えるとき参考にすべきは、『ロープ』ではなく、『湖中の女』(1947年)だと思います。原作はレイモンド・チャンドラーで、ロバート・モンゴメリーの監督第一作ですが、全篇が一人称のカメラで撮られていることで知られる作品です。カメラが主人公の視点からしか撮られていない。探偵映画ですが、すべてがその探偵の視点から見られています。物語の時間と上映時間を一致させようというヒッチコック的な野心とは無縁ですが、視点がひとつしかないので、必然的にカット割りができず、その結果長回しになります。鏡を使ったり、主人公の気を失わせたり、いろいろな工夫をしていますが、基本的にはワンシーン=ワンショットの連続で構成されています。
『エルミタージュ幻想』と比較すると面白いと思うのは、ソクーロフが『湖中の女』を参考にしているからではありません。むしろ『エルミタージュ幻想』は『湖中の女』の真逆を行こうとしているので、その点を比べてみると作品の特徴があぶり出されるようで面白いと思うんです。
『湖中の女』は冒頭で、ロバート・モンゴメリーが出てきて「こんにちは。レイモンド・チャンドラーです」とあいさつするところから始まります。それで、「これからわたしが見たものをお見せします」「わたしが立ち会った事件にあなたも立ち会うことになります」「見逃さないようにしっかり見ていてください」と、そういうふうなことを観客に向けて言い、その後に彼の視点ショットで全篇が展開していきます。
『エルミタージュ幻想』がどのように始まったか、みなさん覚えていらっしゃいますか? いちばんはじめは真っ暗な場面から始まり、そこにオフの声がかぶさります。ちなみにこれは監督のソクーロフの声ですが、「目で見ていることは正しいことではない」「目を開けていても見えているというわけではない」とか、そういう内容のことを言っていましたよね。『湖中の女』の冒頭とまったく逆のことが言われている。『湖中の女』が一人称のカメラを使い、見ることに対する信頼に依拠するのに対し、『エルミタージュ幻想』は一人称のカメラを使いつつ、見ること自体に疑いをかけ、その後にぱっと目が開いたかのようにして映画が始まっていきます。
ロシアの方舟
実際、この映画の中で起こるのは、目を開けていては見ることができないようなこと、目を閉じたときに見えてくるようなことなのかもしれません。ある意識が見たこと、そんなふうにここで言い換えてもいいかもしれません。この映画の原題は「ロシアの方舟」といい、ロシアの歴史や記憶がこの方舟の中に詰め込まれているという内容なわけですが、90分間の時間の中で300年くらいの時間が流れていて、現実とは異なるまるで夢のような時間がここには流れています。
はじめに建物の中に入っていくと、そこにいるのはピョートル1世。だから17世紀後半から18世紀前半くらいでしょうか。しかしそのあと進んで劇場の方にやってくると、今度はエカテリーナ2世がいるので、18世紀の後半くらいに時間がいつのまにか移っている。ニコライ1世がペルシアの使節団を迎えるような歴史的な場面もあれば、家族の食卓のような歴史には残らない日常的な場面もあります。そもそも美術館自体に記憶の収蔵庫としての機能もありますが、現在はエルミタージュ美術館として使われているこの建物群にはこれまで経験してきたいくつもの記憶が保存されているのでしょう。昔は王宮だったわけですから、なおさらですね。だから、この映画の中で展開するのは目の前で起こる、目で見ることのできる出来事というよりも、意識の中でほとんど何の脈絡もなく次から次へと展開していくような、そういう時空を超えて展開していく出来事なわけですが、それは撮影場所がエルミタージュ美術館であることとも密接に結びついています。
9月19日(土)アップリンク吉祥寺にて11:55~『精神
の声(第1・2話)』上映終了後、
代島治彦さん(映画監督、プロデューサー)によるトークイベントを行いました!
ソクーロフから影響を受けたというか、影響を受けようがなかったのですが、そのへんのことから語ってみたいと思います。『精神 の声』の第一部第二部を今日見ました。4Kのデジタルリマスター版ということで、スクリーンでしっかり見られて、改めてアレクサンドル・ソクーロフの芸術性の高さというか、イメージを練り上げていく、発酵させていく力というか、そういうものを感じました。
人間がコントロールできない世界
僕は、『精神 の声』を1995年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で、特別招待作品として上映されたのを見ています。スクリーンの暗闇などのちゃんとした環境ではなくて、山形中央公民館の会議室のでっかいところで畳を敷いて、黒板みたいなスクリーンに延々五時間以上映しました。寝っ転がって、途中少し寝たかもしれませんけれども、その時に只者ではないというか、大きなものを味わったという感想を持ちました。今日の第一部でも感じましたけれども、やっぱり神と自然と人間といいますか、そこに戦争が絡んできたりするのですけれども、そういう大きな世界ですね。人間がコントロールできない、制御できないある世界ですね、というものに手を伸ばして、手を突っ込んでいく。それで撮影したものをソクーロフの世界観というか、ソクーロフのイメージに発酵させていくというか、そこのところの力ってすごいな、と改めて思いました。今日、スクリーンで見てとてもよかった。こんないい環境でこういう4Kデジタルリマスターのこの映像美ですね。こういう環境で見られたことで新たな発見というか、特に第一部ですね。モーツァルトやメシアンやベートーベンの語りを、音楽を使いながらフィックスの画面の中で、ターナーの風景画の中に時間が含有されたというか、時を含有した絵画を見ているというか、映像詩という言い方はよくされますけれども、やっぱり時間ですね。あるいはある世界の流れみたいなものを、一つの風景画の中に取り込みながら実はこのあと戦場に向かっていくというのに繋がり、その後、実際に戦場に行くわけですけれども、そこに行くまでの、なんていうのかな、ソクーロフがタジキスタンとアフガニスタンの国境の警備隊の撮影に出かけるまでの、あるいはそこから帰った後も含めた色んな気持ちを第一部に込めているのかなあと思いました。
フィルムが植物のように育っていく イメージが発酵している
ですから、映画全体としては無関係のように見えるような流れとしては、物語の流れとしてはそういう感じもするのですが、僕らが見るものが、やっぱり神の思し召しでつくられたこの世界ですね。その世界の中で生きている人間、摩訶不思議なこの世界というものを、もう一度捉えなおしながら、人間は生まれて死ぬんだということも捉え返しながら、戦場に向かっていく。あの風景の中と、フィックスの風景の中でソクーロフは色んな事をやっているんですね。その映像効果とそれから音響の効果ですね。ソクーロフという監督の一番の特徴、『精神の声』というのは、ビデオカメラでソクーロフが初めて撮影した作品なのですけれども、カラーで撮っているんですね。普通のカラーです。ですから、皆さんが自分で撮るようなのと同じようなカラーで撮られているんですけれども、それを編集で、工学的な処理、音響的な処理をする中で発酵させていく。ソクーロフの言葉を借りると、植物のように育っていく、というような言い方をどこかでしていましたけれども、そこのところが彼の独自の映画技法、テクニックになってきて、そこでやっぱりイメージが発酵している。
神の世界に入ってゆく
誰も真似ができないようなソクーロフの世界、ソクーロフの天才的な世界だと思います。特に、靄がかかるような、霧がかかるような、色んな事物が切り取られてしまう。靄に捕えられてしまうような感じですね。僕の記憶だと、例えば『太陽』で東京の街が靄につつまれているような感じで終わるんですけれども、ソクーロフのいくつかの映像の特徴として、靄につつまれたもやもやっていう世界があると思います。それから、これは編集の段階でソクーロフがやっていくんですけれども、やっぱりすごく長いディゾルブですね。あるこう風景から人間の顔のアップに今日もディゾルブしていましたけれども、ああいうことで何がこちらに伝わってくるのか。何かやっぱり不思議なものが、あの長い長いディゾルブによって伝わってくる。人の顔のアップ、あるいは人の集団のアップみたいなところから、すごく長いディスタンスをズームバックしていく。その人間がどんどんどんどん小さくなって、それが一つの世界の中のほんのちょっとしたものになってゆく。そうするとやっぱり人間中心主義からやっぱり大きな、もうちょっと大きな神の世界に入って行くというっていうか。あのー、何も言わないんですよ。ただそういうことが、彼の中で表現されていくということがあると思います。
『ロシアン・エレジー』
『精神 の声』は最初見たときから撮影と録音が素晴らしいと思っていて、撮影はアレクサンドル・ブーロフという人で、録音がセルゲイ・モシュコフという人なのですけども、ソクーロフ自身も言っていますように、旧ソ連ですね、ロシアは映画大国ですから、そこで鍛えられたカメラマン、それから録音技師というのは素晴らしい、と。特にこれはビデオカメラで撮っていますけれども、この映画を撮ったブロフもそのカメラですね、撮り方、あの人間のアップ、それから色んな物をアップで撮って行く。そこから表情汲み取っていくというような撮り方ですね、というのが僕は最初見たときからすごいなと思っていました。実はこの『精神の声』の前に、1993年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『ロシアン・エレジー』という作品が、コンペティションでかかったのですけれども、僕がソクーロフと出会った最初の作品です。それも本当に不思議な作品で、ドキュメンタリー映画ですが、僕らがそれまで見てきた、日本で見てきた例えば土本典昭とか小川紳介とか、そういうリアルなドキュメンタリーではなくて、映像詩なんですけども、ただ現実にリアルなものを映してそれをムービングイメージに変えてっていう、その感が、なんていうんでしょう、すごい印象を受けるんですね。人によって全然違うと思うし、多種多様なインプレッション、インスパイアを受けるんですけれども、こちらの感受性を試してくるような映像詩の世界ですね。『ロシアン・エレジー』を見たときからすごく感じています。特にゆったりした、今日もそうですけれども、ゆったりした映像の中で何かが、普段僕らがここの映画館から一歩外に出たときの社会の日常ですね、というものから全く違う感覚に引きずり込まれていく、それは生と死とかってこともあるんですけれども、そういうなんかね、『ロシアン・エレジー』で不思議な映画を初めて見たっていう感じがしています。
戦場を流れる時間
『モスクワ・エレジー』というエレジーシリーズの<タルコフスキーに捧ぐ>、という作品が今回プログラムに組まれていますけれども、ソクーロフの初期のエレジーシリーズですね、ぜひ堪能してもらえればなあと思います。『エルミタージュ幻想』とか『モレク神』や『牡牛座 レーニンの肖像』や『太陽』という風に、ソクーロフは映像の世界を広げてくんですけれども、僕自身は結構初期の作品が好きで、エレジーシリーズやこの『精神の声』とか、このへんの作品をとてもいとおしく感じています。第三部から第五部までですね、皆さん見ていくと思うんですけども、まあ要するに戦場は、99%無為な時間が流れていて、1%死と向き合うような緊張した場面が出てくる。で、実際にこの映画もみんなでごはん食べたりとか、煙草をみんなで回して飲んだりとか、そういう戦場の日常ですね、というようなものが延々続いていくんですけども、「ああ、そうなのだなあ」と。その中に兵士の、特に若い兵士ですね、の表情のアップ。モーツァルトが天然痘で、額が出ていて背が低くて、とっていうナレーションがアタマで入りますけれども、一人一人違う人間が、若者がそこにいて、それで戦場にいて、実はこの映画から、この映画の中で帰還した若い兵士もいるんですけども、この映画に映っているほとんどの兵士は戦場で死んでいる、という風にソクーロフは言っています。ですので、死んでいった若者をこのあと三部以降見て行くことになるんですけれども、やっぱりソクーロフってどっか人間を愛しているというか、月並みな言い方ですけれども、ペシミストなんですけども、映像としては、どっかで人間を愛おしく、可愛く、切なく、懐かしく思っている人なんですね。
不条理を抱え込んで生きる
ソクーロフって人は1951年生まれで僕より七つ年上なんですね。今70歳かな。お父さんが農民でお母さんが労働者、芸術家はいないような家庭で育って、テレビ局から映画の道に入っている。特権階級ではない。庶民のところから出てきた感覚というのを持ちながら、天才的な感性も併せ持ち、やっぱり普通の人間ですね、無名の人間ですね、っていうものにカメラを向けて行く。そこから何かを汲みだしていく。そこのところも僕自身は非常に好きです。ソクーロフの映画を見ていると、こんな解釈をする人はたぶん映画評論家にもあんまりいないと思うんですけれども、僕自身は自分の体ですね、自分の体の中に自分の意思で動く随意筋と自分の意思で動かない不随意筋ってのがあって、不随意筋っていうのは自分でどうしようもないわけです。心臓や胃や内臓やなんか色んなところに不随意筋があるんです。で自分の思い通りにならないものを抱えて生きて行くという感覚をすごく持っていて、ソクーロフの映画を見ているとやっぱり人間の意志ですね、人間がコントロールできない、例えば戦争なんかもそうですけど、コントロールできないものが世界にはあるんだと。そういうものを抱え込んで生きるっていう、不条理を抱え込んで生きるって、いうのが人間であり神がつくった世界なんだ、ということを感じるんですね。だから社会、世界にも不随意筋的な世界があるんですね。そのことをやっぱりどっかで人間っていうのは自覚しながら未来を考えていく、あるいは社会の事を考えていかないと悲劇を抱え込むことになってしまうのかなと、戦争も含めてね。ソクーロフの映画を見ているとそんなことも感じたりします。
ロシアの映画は奥が深い
とにかくまあ、映像美がすごいです。カラーで撮っているのになんでこんな色でやってくのと。ロシアって映画大国なんですね、映画の歴史があって、たぶん技師さんもいっぱいいて、色んなチャレンジをして、自分の映画を作っていると思うんですけど、それだけやっぱりロシアの映画は奥が深いなあ、というのをまた感じます。
『ドルチェ 優しく』~日本での撮影
最後になりますが、『ドルチェ 優しく』でという、ソクーロフはすごく日本が好きで、『太陽』も撮っていますけれども、1998年とか1999年くらいだったかな。島尾敏雄っていう「死の棘」で有名な作家の奥さん、島尾ミホさん。奄美大島に住んでいるんですけれども、ミホさんを被写体にした『ドルチェ 優しく』っていう映画をソクーロフが撮りました。その撮影をしたのが大津幸四郎さんと言いまして、『三里塚に生きる』という僕の映画で一緒につくって撮影もしました。大津さんは小川紳介の相棒として『三里塚の夏 日本解放戦線』という小川さんの三里塚シリーズの第一本目ですね、というのを撮影し、また土本典昭の水俣シリーズも撮影した撮影監督といいますか、カメラマンです。で、その『ドルチェ 優しく』を撮った後に大津さんに撮影の裏話みたいなのを聞いたんですけれども、大津さんとしては、ソクーロフが何を撮りたいのかよく分からなかったそうです。これ撮ってあれ撮ってここをこうやって、というのはあるんだけれども、ソクーロフとしては、撮影の後までをイメージしながら撮っているらしいんですね。その後、どうやって映像を加工して編集して、音をどうつけていこうかみたいなことも考えて撮っている。例えば『ドルチェ 優しく』の場合、実際は島尾ミホさんの家の目の前は海じゃないんですよ、海岸じゃないんだけれども、映画の中ではミホさんの家の目の前が海岸になっているんですね。で、そういうのを、なんていうのかな、まあ劇映画の場合よくありますけれども。大津さんとしてはそれまで付き合った小川さんや土本さんと全然違って、ちょっと戸惑ったらしいんです。逆にソクーロフは日本には大したカメラマンがいないっていうような印象で帰ったらしくて、結構不幸な出会いだったのかもしれないのですけれども、ソクーロフはカメラマン、それから音ですね、っていうものを非常に重視しているので、即席でなかなか対応できなかったのかもしれないんですけど。ただ出来あがった作品、『ドルチェ 優しく』っていうのは非常に印象派的な、日本の監督が絶対撮らないような、やっぱり神の世界ですね。島尾ミホさんというのは、沖縄で言うユタ、要するに青森の口寄せと言いますか、ちょっと霊能力がある女性なんですけれども、そういう霊能力の感じがすごく出ています。
今日見て得をしたのは、ソクーロフが映画に映っているんですね、戦車の上に。「ああ、ソクーロフだ!」今まで発見できませんでした。それが今日一番嬉しかったことです。ありがとうございました。
上映情報
都道府県 | 劇場 | 電話番号 | 公開日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京都 | アップリンク吉祥寺 | 0422-66-5042 | 2021年9月10日(金)〜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
好評につき1週間延長決定!
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神奈川県 | 川崎市アートセンター | 044-955-0107 | 2021年10月30日(土)〜11月4日(木) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
神奈川県 | 横浜シネマリン | 045-341-3180 | 2021年11月27日(土)〜12月10日(金) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛知県 | シネマスコーレ | 052-452-6036 | 2021年10月23日(土)〜11月5日(金) ※10/30(土)・31(日)休映の場合あり |
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京都府 | アップリンク京都 | 075-600-7890 | 2021年9月24日(金)〜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大阪府 | シネヌーヴォ | 06-6582-1416 | 2021年9月25日(土)〜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沖縄県 | 桜坂劇場 | 098-860-9555 | 2021年10月23日(土)〜29日(金) |
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ソビエト時代には、監督作が当局により、<上映禁止>のレッテルを貼られていたアレクサンドル・ソクーロフ監督は、今やロシアが世界に誇る巨匠となり、今年6月14日に70歳の誕生日を迎える。発表の場がTVやビデオのみの作品を加えると、監督作は優に数百本を超えるほどの多作であるが、いずれも想像力を喚起させる、独創的で創造力溢れる作品揃いだ。今回の特集ではソクーロフのエポックメイキング的な4作を上映する。