ロシアでいま、映画はどうなっているのか?

表題の〈ロシアでいま〉はたぶん意図的なのだろうが、ロシア・アヴァンギャルド華やかりし20世紀初頭のロシアに回帰しそうな「未来派」的ロゴで描かれている。

 ソ連邦体制の崩壊によって復権した〈ロシア〉は、その〈ロシア〉を封殺した芸術運動であり、やがてスターリン体制下で窒息するロシア・アヴァンギャルドの実相を掘り起こしている。しかし、その蘇生作業は共産党一党独裁の崩壊とともに待ったなしではじまった政治の混乱、経済の疲弊のもとで開始された。
 本書は、ソ連崩壊にともなって映画制作のシステムそのものが激変してしまった1980年代後半から、20世紀の終末までに制作されたロシア映画を机上にして、ロシアのプロデューサー、撮影所所長、映画監督、映画雑誌編集長、映画評論家たちが現状を証言するものだ。巻末にその時代に日本で公開・上映された映画のカタログが掲載されている。87本である。1991年12月のソ連邦解体以前の映画もあれば、ハリウッド資本で撮られたロシア人監督作品、フランス、ドイツとの提携作品もある。つまりロシア映画も市場経済の波に乗るようになった。そういう映画制作の現場の声もきっち証言されている。旧体制でお蔵入りとなっていた作品が、新体制の発足で日の目をみたり、ハリウッド映画が奔流となって輸入され、観客を動員していることも語られる。
 ソ連崩壊によって混乱したのは映画界ばかりでなく、時を同じくして音楽界、演劇界、美術界、舞踏界、あるいはスポーツ界などもどうようの体験を等しく強いられたはずだ。オーケストラの団員が定期演奏会のたびに痩せていったとか、美術館の暖房が効かなくなったとか、稼げない〈芸術〉の疲弊を伝える記事が世界に伝播した。ソ連邦時代から国際市場を確立していた音楽界、特に歌劇、あるいはバレエ界は、その混乱期、海外公演を繰り返すことによって外貨を稼ぎ出し苦境を乗り越えたように思う。90年代、日本の大ホールは次から次へとロシア・バレエ公演を打っていた。それも定番のチャイコフスキー物が中心ですっかり娯楽と化していた。つまり意欲的な新作物を掛けるバクチは経済的に打てなくなっていた。密かなバレエ・ファンである評者の手元にはその時代の大同小異といった内容のプログラムがたくさんある。日本はその時代、ロシア・バレエを経済的に救助していた第一等国に違いない。
 けれどロシア映画は一部の監督作品を除けば国際市場を持っていたとは思えない。タルコフスキーや二キータ・ミハルコフの映画であっても、日本ではアート系の小さな映画館でしか上映されなかった。例外はきわめて少なかったはずだ。
 タルコフスキー亡き後、アレクサンドル・ソクーロフという野心的映像作家が飛び出した。彼の出現はそれこそソ連邦崩壊の賜物としか言いようがない。彼の映画『エルミタージュ幻想』には正直、圧倒された。そして、現代ロシア事情を象徴する作品だと思った。
 『エルミタージュ幻想』の圧倒感に拮抗するのは、『戦争と平和』の長尺・物量感ではない。一個の野心的な個性に芽生えた表現欲の大いなる発露が醸し出す圧倒感である。児戯的とさえ思える我執そのものが象徴されている。この映画に拮抗する圧倒感は西ドイツ時代のヴェルナー・ヘルツォーク監督がアマゾン上流で本物の客船を重機、人力で山を越えさせて川を迂回させた膂力を思い出させるものだった。CG多用のテクニックではなく、映画は生身の人間たちの旺盛な共同作業であるという原点がむき出される。しかも、ソクーロフはエルミタージュ美術館の回廊そのものを制作現場に使った。レンブランドすら添景であった。灰色に覆われたレニングラード時代に宮殿美術館を一日、徘徊したことがあったけど、映画はその回廊をドヤドヤ、けたたましく土足で駆けまわりながら美術館を切り取った。その制作現場を知れば政治的混乱だ、制作費が捻出できない、上映の目途が立たない、と嘆声が聞こえても筆者は無視する。表現者にとって、社会の激変は滋養そのものである。エルミタージュが映画撮影現場として〈荒らされた〉こと自体、表現環境はすこぶる良くなっているとしか思えない。ソ連邦時代にエルミタージュでそんな映画を撮ることなどは夢のまた夢であったに違いない。
 本書によってウクライナで良質のモノクロ・フィルムが量産されていたことなど、はじめて知った。つまりロシアには映画制作に関わる消費材がそれなりに自給できる体制があったし、今後も生産効率を模索しながら市場での競争原理のなかで生きのこりを賭けて品質向上を模索するだろう。そういう生産基盤が曲りなりも存在する。何を不平を言う、と思ってしまう。チェ・ゲバラが先駆的に批判したソ連邦体制の内実といえるものだ。
 気の毒なのは、クレムリンによってコメコン体制を強いられ、農産物から工業生産の自立まで阻まれた東欧諸国であり、そしてカリブのキューバである。特に、換金栽培物として砂糖のモノカルチャーを強いられたキューバには映画制作にともなう資財はほとんど人的資源しかなかった。後はフィルム一巻、現像液一滴まで輸入品であった。そんなキューバは映画制作において、域内大国メキシコやブラジル、アルゼンチンの映画と拮抗する作品を制作していた。そのキューバ映画界が一時、まったく機能しなくなった。頓挫した。その混沌は、ロシアの比ではなかった。
 評者は、本書からロシア映画の現況を色々と学ばせてもらった。その意味では入門書・カタログ的に便利なものである。けれど、どこか被害者意識的に自国の映画界を語る人たちの言動を読むのは少々、不愉快であり、思わずソ連邦時代に取材した幾多の芸術界の官僚たちの面影を思い出していたことを率直に語っておこう。
 繰り返すが、『エルミタージュ幻想』といった映画が撮れる至福の時代を迎えているのが「ロシアはいま」である。ロマノフ王朝を賛美するのも善し、否定するもまた善し、日本の天皇の事跡を劇化する自由さえ獲得したのであるから……。